LOGINエルキュールが飛び出していった後のヌール広場にて。
「君ねえ……勝手な判断はやめてくれないか。どうして勝手に彼を行かせたんだ、今は他に優先するべきことが――」
急展開を前にそれまで呆然としていた騎士が、グレンを窘めようとする。
当然のことだ。
ここにいる市民の数は二十。ここに置いていくわけにもいかないので、他の市民を探しに行くのなら当然彼らの安全を確保するのが前提となる。
対して戦える人員はグレンを入れて四人。本当ならエルキュールにも協力を仰ぐべき状況なのだ。「ああ。市民を守る――騎士に課せられた使命の一つ、だろ?」
「だったらどうして……」
食い下がる騎士に、グレンは頭を掻いた。詳しく説明をしたいところだったが、時間はない。
諦めたように息をつき、グレンは懐から何かを取り出し、騎士の連中の目の前に示した。「そ、それは……その家紋はまさか……!?」
グレンが取り出したのは首飾りであった。金色の細い鎖に深紅の楕円形の宝石。恐らくは火の魔鉱石を精錬したものだろう。
それだけでも凡庸な首飾りではないことが窺えるが、その首飾りの価値はそれだけに止まらない。宝石の中央には剣を象ったような紋章のようなものが刻まれており、それこそが騎士の吃驚をもたらした原因であった。
「これに免じて、ここはオレの指示に従ってくれないか?」
「……ええ、理解しました。これは心強いです、まさか貴方が彼の有名な――」
「いいって、オレ自体はそう大層なモンじゃねえ」
騎士たちの高揚を抑え、グレンはその目に真剣な色を宿した。
「とりあえず、そうだな……街の外に住民を逃がす班と、街中の逃げ遅れてる住民を探す班に分かれるぞ。っと、お前は……」
「私はソーマと言います。こちらはヘルツとティック」
今までグレンと会話していた騎士――ソーマが手短に紹介する。金髪で小柄な騎士がヘルツ、整えられた髭が目立つ騎士はティックというようだ。
グレンは自らの名前を名乗ると、続けてこう説明した。「よし、ソーマとヘルツはこのまま住民を連れて街の外へ。門を出たら、念のため上空に応援要請用の信号弾を放て。まあ、あのザラームとかいう野郎の演説のせいで無用かも知れねえが……」
「ええ、承知しました」
「了解であります」
グレンの指示にソーマとヘルツはそれぞれ首肯した。
「ティックはオレと街の捜索だ。……確認だが、お前ら以外の騎士の詳しい配属は分かるか? できればそこ以外を優先して探してえからな」
「分かるっすけど……あまり意味はないと思うっす」
グレンの考えは尤もだったが、対するティックは芳しくない表情であった。
意味はない、というのはどういうことか。グレンは眉をひそめてティックに説明を求めた。
曰く、この一週間の間で多くの騎士がミクシリアに召集されたという。王都での魔人が現れたという騒ぎのためだというが、その影響で最近の騎士の配置は通常時のものから大きく変更せざるを得なかったという。
「ちっ……なんてタイミングだよ……仕方ねえ、人が集まりそうな場所から回るしかねえな」
苦虫を噛み潰した表情でグレンは呻いた。ともあれ、今はできることをするしかない。全てが突然のことであったので、周到に立ち回ることは難しい。
「よし、お互いそれで行くぞ!」
頭を切り替え、グレンは騎士の三人に確認をとる。その妙に洗練された要領に、三人は感心しながらも頷いたのだった。
◇◆◇
ヌール広場を飛び出したエルキュールが向かっていたのは、ヌールの中心に位置する中央区であった。
先ほどザラームが映っていた映像の街並みは、ちょうどこの辺りの景色だったはずだ。
目標はそう遠くない――エルキュールは確信を抱き、ふと立ち止まった。
ここまで来るうちに、ザラームの演説は終わっているかもしてない。そうであるならば、彼は既に移動を開始していることだろう。
ザラームは「リーベへの反逆」とのたまいていた。その時の彼の熱が、未だエルキュールにこびりついて離れない。
この世界に魔物の自由な権利は無いに等しい。長い歴史の中で、リーベは自らの脅威となるイブリスを排除してきた。それが自然なことだという思想が遍く流布されてきたのだ。
きっとザラームは、徹底的にこの街を破壊するだろう。自分たちの同朋が、そうされてきたように。
そのために自らも何らかの行動を起こすはずである。そう推察し、エルキュールは魔素感覚を研ぎ澄ませた。元々は魔法を効率よく使うための技術であるが、今は周囲の魔素の流れを読み異常がないかを探る。
「――ダメだ、魔獣が多すぎるのか全く分からない」
思い通りにいかない結果に、エルキュールは歯噛みする。魔獣に備わる魔素質が発する魔素しか検出できなかったのだ。これだけ混濁としていると、ザラームの痕跡があったとしても把握することは不可能だろう。
一体どれだけの魔獣が放たれればこんなことになるのか、想像も付かない。魔素感覚による探知が無意味だと分かった以上、エルキュールに残されたのは直接自分で探索するという地道な選択肢のみだった。
エルキュールは再度脚に力を込めて走り出そうとしたが、それとほぼ同時、彼方から重い低音が空気を震わしたのを感じた。
それだけなら家屋が崩壊した音にも思えたが、どうやら違う。その音は単発に終わらず、一定の間が空いた後再度エルキュールの耳を刺激した。
何かの爆発音ともとれるその音に伴い、強烈な光も明滅していた。これはただ事ではあり得ない。
「あの方角は……ヌール伯邸か?」
その先はヌールの中央にある中央区の、さらにその中心に位置しているヌール伯の邸宅の方角であった。
当たりをつけたエルキュールは、すぐに目的へと急行する。
道を左手に曲がると、さらに酷い光景が広がっていた。その道中は動かなくなった魔獣の骸や瓦礫の数々が散乱し、とてもじゃないがまともに通行できたものではなかった。
この惨状から察するに、魔獣どもは人の多い中央区に集まってきているようだった。多くの人間を汚染することができる効率的な動きの裏に、人為的な誘導が透けていた。これもザラームの仕業なのだろうか。
ただ、ここ一体の魔獣は既に生命活動を終えているようだ。数刻前にはここで騎士が戦っていたのは明らかだった。
突然の魔獣の襲来で、騎士たちの統率は取れてはいないものの、この様子だと各自で出来ることを為しているのかもしれない。
幾ばくかの安心を得たエルキュールは、悪路に構いもせず障害となるものを飛び越えて、もしくは自身の得物であるハルバードで薙ぎ払いながら突き進む。
そうして何個目かの角を曲がると、周りの住居よりも一際大きいヌール伯の邸宅が目に入る。
それと同時に理解する。先ほどの爆発音と思しきものの正体を。
「ウオオォォ……」
「あはあ、お兄さんすごいねえ。もうこんなに魔力を制御できるようになって……でも、知性がないのが残念かなあ?」
邸宅の前にいたのは二つの人影。
一つは白い装束を纏ったダークピンクの髪の少女。二つに結われたその片方を手で遊びながら、もう一人の影に対して軽口を叩いている。
もう一つはおよそ人間とは思えない呻き声をあげ、ただならぬ魔力を湛えていた。
その手には赤く輝く魔素の残滓が残っており、彼の横にあった家屋は煙を上げ粉々に壊れていた。恐らく、魔法かそれに準ずるもので破壊されたのだろう。だがそんな痛々しい光景以上に、その人影の姿形自体に問題があった。
一般の人間よりも一回り大きい体躯に、何故かあちこちが破けている布切れが纏わりついていた。
その肌は普通の人間とは異なり、まるで火傷を負ったかのような赤黒い痣が爛々とした赤い光を伴い蔓延っている。――魔物に特有な魔素質である。
「嘘だ……」
人型の魔物、それを見た途端、エルキュールの口から声が漏れたのを咎めるものはいないだろう。
エルキュールにとって、自分以外の魔人を間近で見るのはこれが初めての事だった。
もちろん、魔獣に比べて魔人の数が少ないというのもある。
だがそんな理由よりも、ヌールに至るまでの放浪生活においても、ヌールに住んで魔獣を狩るようになってからも、魔人が出没する場所には行かないように徹底してたから、というのが大きかった。「んー?」
不注意にも漏れたその声に反応して、少女が振り返る。エルキュールは自身の失態を呪ったが、時を戻すことはできない。
「あれ、この辺りの人はとっくに逃げたと思ってたんだけど……まだ人がいたんだねえ」
少女の目がエルキュールを品定めするかのように動く。その顔は幼さが残っており、この場には似つかわしくないように思えた。
「……いや、その服装、君もアマルティアだな?」
魔人の存在に意識を引っ張られていたが、よく見れば少女の身につけている装束は、あの仮面の男・ザラームが身につけているのと同様だった。
その事実を確認し、エルキュールは警戒を強めた。「へえ、フロンたちの詳細は、まだ限られた人たちにしか知られてないはずなんだけどなあ……?」
ただ人ではないことを悟ったのか、アマルティアの少女・フロンにも幾ばくかの緊張が走る。
エルキュールの言葉を否定しないあたり、本当の事なのだろう。まさか、ザラームのほかにもヌールの街に来ていたとは驚きだ。それに対して、半ば自身がアマルティアであることを認めたフロンは、隣で虚空を見つめていた魔人の方を見やる。
「これは丁度いい機会だね。お兄さん、あの人やっちゃってよ」
「オオォォオオォ……」
フロンの言葉を受け、魔人は緩慢な動きで振り返りエルキュールと対峙した。すると、それまで後ろ姿しか確認できなかった魔人の前面がはっきり見て取れる。
「え――」
その姿を見た瞬間、先ほどよりもさらに細い声がエルキュールの口から漏れた。
奇妙なことだが、その魔人の顔に見覚えがあったのだ。魔人に会うのはこれが最初だというのに、一体なぜ――
いや、そんな思考をするまでもなく心当たりはあった。
ただ、だからといって簡単に認められるわけもなかった。
「アラン、さん……?」
それは、数時間前に会ったばかりの、鑑定屋の店主その人の顔であったから。相対する魔人の顔は、この三年のヌールでの生活で見慣れたものであった。 鑑定屋の店主、アラン――今朝の鑑定屋での出来事は、まだ記憶に新しかった。 ところが、今目の前にいるアランの顔をした魔人は、人間のアランとは全く異なる姿形である。 エルキュールはもう一度彼の姿をその眼に焼き付ける。 相変わらず、人間よりも一際大きい身体には至るところに赤い魔素質の痣が広がっており、胸元の深紅のコアが魔人の纏う布の切れ端の隙間から覗かせている。 紛うことなき魔人なのだが、その相貌にはアランの面影がくっきり見て取れる。 それが意味することはもはや一つしかないのだが、エルキュールはそれを直視することができないでいた。「へーえ、名前を聞く前に魔人になっちゃったから分からなかったけど、このお兄さんはアランって言うんだね。……ふふっ、呼びやすくていい名前ね」 必死にその事実から意識を背けていたエルキュールに、フロンは無邪気な言葉を以て真実を突きつける。 もはや逃げることは叶わない。あの魔人はアランが汚染されたことで生まれたのだろう。 魔物の持つ汚染能力。言葉では知っていたエルキュールだったが、その残酷さを身をもって体感させられる。「ウオオォォ!!」 もはやアランとは呼べない、赤き光を纏う魔人はフロンの命を果たすべく、呆然としていたエルキュールに向かって飛びかかった。「ぐっ……!」 完全に油断していたエルキュールは、迫り来る丸太のような太い腕によって道脇の家屋の塀に叩きつけられた。衝撃で塀の一部が音を立てて崩壊する。「うぐ……アランさん、意識がないのか……?」 悠々と歩いてくる魔人を見て、塀にもたれかかるエルキュールは呻く。 願うようなその声は魔人に届くことはなかったようだ、その歩みは少しも止まる気配がない。「あれれ、おかしいなあ。魔人の攻撃を喰らって平気でいるなんて……」 後ろから見ていたフロンは小首を傾げる。 確かにエルキュールが普通の人間だったならば、あの攻撃で致命傷を受けていたかもしれない。 しかし、エルキュールもまた魔人という純粋な魔素を糧として生きるもの。その耐久力は並々ならぬものだ。 魔素質に含まれる魔素が尽きるか、コアに損傷を受けない限り身体は再生され、その生命は半永久的に続くといわれている。 アマルティアに属するフロンは、そういっ
エルキュールが飛び出していった後のヌール広場にて。「君ねえ……勝手な判断はやめてくれないか。どうして勝手に彼を行かせたんだ、今は他に優先するべきことが――」 急展開を前にそれまで呆然としていた騎士が、グレンを窘めようとする。 当然のことだ。 ここにいる市民の数は二十。ここに置いていくわけにもいかないので、他の市民を探しに行くのなら当然彼らの安全を確保するのが前提となる。 対して戦える人員はグレンを入れて四人。本当ならエルキュールにも協力を仰ぐべき状況なのだ。「ああ。市民を守る――騎士に課せられた使命の一つ、だろ?」「だったらどうして……」 食い下がる騎士に、グレンは頭を掻いた。詳しく説明をしたいところだったが、時間はない。 諦めたように息をつき、グレンは懐から何かを取り出し、騎士の連中の目の前に示した。「そ、それは……その家紋はまさか……!?」 グレンが取り出したのは首飾りであった。金色の細い鎖に深紅の楕円形の宝石。恐らくは火の魔鉱石を精錬したものだろう。 それだけでも凡庸な首飾りではないことが窺えるが、その首飾りの価値はそれだけに止まらない。 宝石の中央には剣を象ったような紋章のようなものが刻まれており、それこそが騎士の吃驚をもたらした原因であった。「これに免じて、ここはオレの指示に従ってくれないか?」「……ええ、理解しました。これは心強いです、まさか貴方が彼の有名な――」「いいって、オレ自体はそう大層なモンじゃねえ」 騎士たちの高揚を抑え、グレンはその目に真剣な色を宿した。「とりあえず、そうだな……街の外に住民を逃がす班と、街中の逃げ遅れてる住民を探す班に分かれるぞ。っと、お前は……」「私はソーマと言います。こちらはヘルツとティック」 今までグレンと会話していた騎士――ソーマが手短に紹介する。金髪で小柄な騎士がヘルツ、整えられた髭が目立つ騎士はティックというようだ。 グレンは自らの名前を名乗ると、続けてこう説明した。「よし、ソーマとヘルツはこのまま住民を連れて街の外へ。門を出たら、念のため上空に応援要請用の信号弾を放て。まあ、あのザラームとかいう野郎の演説のせいで無用かも知れねえが……」「ええ、承知しました」「了解であります」 グレンの指示にソーマとヘルツはそれぞれ首肯した。「ティックはオレと街の捜索だ。…
シュガールに辛くも勝利したエルキュールとグレンは、闇魔法で捻じ曲げられた空間を抜け、遺跡内部から外へと空間移動した。「うおっとっと……ここは昼間兎魔獣を狩った辺りか?」 ゲートで空間を跳躍した先は、暫し前に魔獣を探していた平原であった。 エルキュールにとっては慣れたものだが、魔法での移動に慣れていないグレンはたたらを踏んだ。「ああ、流石にここまでが限界だが」 そう返すエルキュールの表情は硬い。それもそのはず、彼とその家族の安寧の地、ヌールの街が危機に瀕しているのだ。 もう二度と住処を焼かれるなどあってはならないが―― 遠くの方で何かが重く響いた。振動が地面を介して二人の足元に伝わる。 振動の源を探すために辺りを見回すと、煌々と赤く光っているのが見える。 ヌールの街の方向である。その事実を認識するや否や、エルキュールは駆けだしていた。「急がないと……!」「って、オレを置いてくなっての!」 かつてないほどの焦燥がエルキュールを支配する。これほど強く自身の感情に敏感になったのは、八年前のあの日以来だろうか。 奇しくも、その時と状況が酷似しているものだから本当に忌々しい。「……煙も上っていやがるな。これもアマルティアの連中の仕業か」「――――」 エルキュールの隣を走るグレンが眉を歪める。エルキュールの方は持て余す激情を抑えるように息を吐いた。 走る速度を速め、徐々に視界の中で大きくなりつつある門を目指す。 門の付近にまで近づくと、街の様子が嫌というほど目に入る。 立派な石造りの門は表面に亀裂が生じており、部分的に崩壊してしまっている箇所もある。そこから延びている道路には、引っ掻かれた跡と何やら赤黒いものがこびりついていた。 その痕跡の全てが、ここであった惨状を静かに物語っていた。「惨いことしやがって……って、あいつはまさか……!?」 不快感に堪えていたエルキュールの傍で、グレンは何かを発見したのか小走りでその方へ向かった。 エルキュールもすぐにそのあとを追ってみると、ちょうど街の中と外を繋ぐ門のアーチ部分の真下、内壁にもたれかかる人影がいた。「……ダメ、みてえだな」「っ、そうか……」 その人物は、今朝エルキュールたちが外に出るときに立ち会った駐留騎士であった。 着用している鎧を貫通し、腹部には魔獣の攻撃によるものだと
――時は少し遡り、鑑定屋にて。 ヌールの外れにある鑑定屋では、店主のアランが帳簿に筆を走らせる音が微かに響いていた。「よぉーし、今日はこんなもんかね」 事務作業が一段落し、客がいなくなった店内でアランは大きく伸びをした。窓の外を見れば、空が赤く染まっている。もう店じまいの時間であった。「来週には納品の手続きをしないとな……」 主として、魔法士などから渡される魔獣の素材を鑑定するのが鑑定屋の仕事だが、それを買い取って別の業者と取引するというのもアランは生業としていた。 あの迷惑なマクダウェル家の男も欲していたが、魔獣の素材は希少性が高く、貴族たちが如何にも好みそうな調度品や装飾品に加工されることが多い。 魔獣が強大になった昨今においても、その需要は高まりつつある。「……ちっ、世界が魔物に怯えているというのに、いい気な奴らだぜ」 朝にも感じた貴族への不快感を噛み殺し、アランは勢いよく立ち上がる。 そのまま恒例の店内の点検の作業に入る。カウンター、奥の倉庫と続き、各棚も念入りにチェックする。 魔獣の素材を少量ながら取り入れたアラン特製の雑貨は、開店前と大差ない数がそのまま棚に鎮座していた。思わずアランの口から溜息が出る。「こっちは全然売れてねえし……ったく、今日はいい事ねえな」 髪を乱暴に掻きながら点検を終えたアランは、店内に備えつけられた魔動照明のスイッチを切る。 今日はセレの月・三日――休日であるにもかかわらず、客の訪れはあまりよくはなかった。鑑定屋という職業がもともと世知辛いものであるのもあるが、明日からニースで行われる大市も関係しているのだろう。 雑貨自体に問題があるとは考えず、尤もらしい理由を捻出したアランは、帰宅の用意を整え屋外に出る。施錠がしっかりなされたことを確認し、ようやく帰路についた。「いや、よくよく考えれば悪いことばっかじゃなかったか」 春の温かな陽気が残る黄昏時のヌールを歩きながら、アランは独りごちる。 脳裏に浮かぶのは、今朝来店したエルキュールとその家族であるラングレー家の二人のことだ。 娘であるアヤとは初対面であったが、リゼットはたまに来店してくれるいい客であったし、エルキュールに関しては、定期的に魔獣の素材を持ち寄ってくれるお得意様であった。 その両者に繋がりがあると分かった時も心底驚いたが、いつも
ローブに身を包んだ男を逃してしまった苛立ちをぶつけるように、エルキュールは正面に構える大蛇魔獣――シュガールを睨みつける。 その鋭い視線に触発されたのか、緋色と黒色の鱗と紫の魔素質に彩られた体を大きく伸ばし、シュガールは大きく口を開けて威嚇した。 伸びた体はこの広い部屋の半分を占領し、開かれた口腔は人間を容易く丸呑みできるくらいに大きく見える。 正直言って、今まで戦ってきた魔獣が赤子に見えるほどの威圧感だった。 男の扱いからしても、そこらの魔獣と比べてもかなりの力を持っているのは明白である。 しかし、数の不利からかシュガールは慎重に二人の出方を窺い、攻めてくる様子は見られない。「へっ、魔獣にしちゃあ知恵が回るみてえだが……無駄だぜ!」 対して二人には悠長にしている暇などなかった。決着を早めるために積極的に攻める必要がある。 もちろんグレンもそのことを理解しており、銃大剣を振りかぶり果敢にシュガールに飛び込んだ。「ガアッ!」 脳天を砕く勢いで振るわれた炎の剣に、シュガールはあろうことかそのまま頭突きで抵抗した。 その頭部は相当な強度を持っているようで、振るわれた剣とぶつかり合って膠着し火花を散らした。 グレンの一撃は相手に効果的なダメージは与えられなかったが、全く問題はなかった。 ――その両者の横を抜け、大蛇の後ろに回り込む黒い影があったから。「――エンハンス」 シュガールの体の強度では普通に攻撃しても意味はないだろう、エルキュールは火属性魔法を武器に付与してその巨大な尾を切り落とそうと、ハルバードを薙いだ。 その斬撃は狙い通りにシュガールの尾に命中したが、傷は浅くたちまち回復されてしまう。やはり、魔獣に致命傷を与えるにはコアを狙うほかないないようだ。 エルキュールは急いでコアの位置を探そうとするが、大蛇の外面にはそれらしきものは確認できない。「シャアァァ!」「――っ」 傷をつけられたシュガールは怒り狂い、まるで地団駄を踏む子供のように暴れて尻尾でエルキュールに攻撃を繰り出した。地面を這うような急襲を空中に跳んで回避する。 そうして後ろの敵を振り払った大蛇は、立て続けに膠着状態にあった正面の相手を頭で押しやった。「ちっ、イカれたパワーだな……」 シュガールの急な反撃をなんとか受け流したグレンだったが、その姿勢は崩れてし
遺跡の祭壇部屋の前にて、グレンの提案に同意しようとしたエルキュールの言葉を奥から発せられた声が遮った。 奥にいるのはあの人影のみ。つまり、あの人物がエルキュールらに向けて言葉を発したことは明白だった。 動きを悟られないよう十分な距離をとっていたつもりだったが、こちらの動きが知られていたらしい。 突然声をかけられたことで声を発しそうになるが、二人は何とか息を殺し相手への警戒を強めた。「ふむ、静観……か。――悪くない選択だ。尾行の腕前はもう少し磨いた方がいいと思うがね」 ローブを纏っているので外見を知ることはできないが、声質は男性のもののようだ。低く力強い声に硬い口調、そのいずれもが聞く者に威圧感を与える。 その男は祭壇の方を見ながらもエルキュールらを冷静に分析していた。背中に目がついているのだろうか、この男は。 いずれにせよ、その様子からは男が只者ではないことが窺い知れる。迂闊に近づけばどうなるか分かったものではない。二人は消極的な対応をせざるを得なかった。「おや、尚も続けるとは……随分と私のことを高く評価してくれているようだな。……まあ、ここで相対するのは予定にはなかったことだ、向かって来ないのならそれで構わない。その調子で、これからヌールの街に起こる災厄も静観していてくれたまえ」「……どういう意味だ?」 男の発した言葉の内容に、エルキュールは聞き返さずにはいられなかった。 『ヌールの街に起こる災厄』、なぜそれが起こるとこの男に分かるのか。その問いの答えに至る前に、エルキュールは部屋の奥の方で闇の魔素が集約していくのを感じた。 男が魔法を放出しようとしているのだ。この魔素の流れ、エルキュールにも馴染み深い――その魔法の名はゲート。二つの空間を繋ぐ闇魔法だ。「……! そうはさせない!」 男はこの場から離脱しようとしている、そのことにいち早く気付いたエルキュールは意を決して部屋の中に飛び出し――「ダークレイピア!」 ゲートで移動しようとしていた男に目がけて攻撃した。 しかし、その攻撃は彼に届く寸前、不思議なことに何かに弾かれるが如く軌道を変え壁に突き刺さった。「な……」 闇魔法の衝撃により壁の一部が崩れ、周りに掛けられていた燭台も砕け散り破片が吹き飛ぶ。「……甘いな。魔法はこう放つのだ――ダークレイピア」「これは……!?」